感謝と批判
企業や人が提供しているサービスに対して意見を言うとき、私は快・不快だと
はっきり伝えるべきだ。
これは、クレームでもカスハラでもない。
「〇〇すべきではないんですか」「人として」「企業として」という、
他からもってきた物差しで測って伝えるから、伝わらない。
そして、言われた方も人間なので、やっぱり不快に思い、
要注意人物認定したくなる。
私はこう思う、こうしてほしい、こうしてほしかった、とシンプルに伝えること。
これはどんな場面でも大事なことではないだろうか。
先日、ある運送会社に感謝のメールを送った。
必ず担当の配達員に伝えてほしいと記して。
そして、素晴らしいサービス、あるべきサービス、レベルの高いサービス、という
ことには触れず、私は大変あたたかな気持ちになった、と記した。
私はあたたかい気持ちになった。
私は安心できた。
私は嬉しい気持ちでいっぱいになった。
私はこう伝えていきたいし、周りからもこう言われたい。
医療の現場の応対について
医療の現場における、患者への応対方針について興味があります。
これは私が近々手術、入院をするということがきっかけではあるのですが、
もっと詳しく言えば、手続について不明な点があったため、電話で問い合わせた際の
応対がきっかけです。
医療の現場は命を救う、守るという最も敬意を表するに値するお仕事をなさっていて、
お医者様、看護師の方々だけではなく、たとえば受付の対応をなさる方も、
効率性を重視しスピード感をもった仕事の仕方を求められることでしょう。
断じて、その環境下においては、患者への応対は「接客」ではないと、考えています。
ただし、現実的にはそこにはしっかりとした金銭の授受があり、
私たち患者は医療サービスを買っています。
ましてや、病気は誰にとってもうれしくないものですから、気分的に複雑かつ落ち込む
傾向にある患者に対して、どのような言葉をかけていくか、どのような応対をしていく
かということは、考えられて良いテーマだと思っています。
受付を待っている際、近くで座って待っているおじいさんのそばに、看護師の方が
かけよって何かを話されていました。その看護師の方の話し方が、子供を相手にする
ような話し方なのが個人的に気になり、もっと言えば、不快でした。
すると、おじいさんが、少し声を荒げて
「だから!先生にそのことを直接聞きたいから今日はきたんだよ!」と
その看護師の方に返していらっしゃるのを聞いて、
私こそ詳しい事情は分からないくせに、おじいさんに
同情的な気分になりました。
看護師の方にも思惑があってのことでしょうし、往々にして高齢者への対応の際
には気を付けるべきことというのが知識と経験上おありで、そのうえでの応対
であったとは想像します。
しかし、不快でした。立場がどうであれ、相手方への尊敬があってほしい。
院内では様々な場所で、決して「接客」ではない「応対」に対して、思うこと、
気づいたことがたくさんありました。
この先の手術と入院を思うと気持ちがふさいでしまいますが、私自身生きていく
中でどうしても気になってしまう、そして高めたいと思ってしまう、他人への
接し方について、良い学びも得られるのではないかとも思っています。
他人の目を気にすることも思いやりのひとつ
外見だけではなく、内面から出てくる振る舞い、一挙手一投足について、他人からはどう見えていてどういう人間だと捉えられる可能性が高いのかということに考えを巡らせてみることは、対人の仕事をしていくうえでは大切なことだと思います。これを過去、部下の男性に伝えたところ、「他人の目なんてどうでもいいです」「気にしないんで」「自分のやりたいようにやるだけです」という返事が返ってきました。返事はとてもかっこういいし、否定はしないけれども、そのスタンスも状況、環境に応じた使い分けが必要であることは当然のこと。レジでおつりを渡すときに、お客様は手のひらを向けて受け取る準備万端でいらっしゃる。だけれども感染症対策のためにおつりはトレーの上に置かなければならない。お客様の手のひらを完全無視してトレーにおつりを置くのではなく(私はこうされると、自分の手のひらの使い道がなくなったことにとても恥ずかしい気持ちになり、つまり嫌な気持ちになる)「トレーのうえに失礼させていただきます」などと一言お断りを入れるとか、レジ打ちをしているときに隣のレジ台のスタッフと、業務上の会話と無駄話が半々のような会話を笑いながら行っている、その自分の姿は、お客様から見てどう見えているのか、お客様を視界外にして大変失礼な態度ではないのかと考え省みるなど、接客の場面では「私」よりも「お客様」視点での想像力が必要です。信頼、安心してもらうようにふるまうこととは?そう見えるような身なりとは?そのように考えを巡らせ実行に移していくことは、社会人としての思いやりであると思います。
伝えたい!伝わらない!
伝えたいことを伝えることの難しさを日々感じます。
これは対面であっても、非対面であっても感じることです。
言葉や表現を変えてリトライするも、伝わった感触を得られない、
また変えてリトライ・・・を繰り返していくと、
いよいよ、「私の言いたいことは伝わっていますでしょうか」ということを口にしたくなります。
この「伝わっていますか」という聞き方ですが、
本人的には、「自分の言い方がまずいので伝わらないのかもしれない」という謙虚な思いから発していることが多いと思いますが、
言われた側は、まれに、「伝わっていない私の方に問題があるってこと?」と
マイナスの受け取り方をされることもあるので、要注意です。
本当にへりくだりたいのであれば、「私の言葉が至らないので、分かり辛くて申し訳ありません」という意味のことを口にすべきですね。
実は、当の私が今日、2、3度、「伝わっていますか」ということを相手に対して
口にしてしまいました。
かろうじて、相手はお客様ではなかったのですが、
いくら社内、身内の人に対してでも、配慮をした言葉を使う必要があり
(絶対に使いたい)ますので、猛反省点です。
猛反省点といえば、もう一つあります。
この「伝わらない」ということに関して、自身の話し方、話す内容、傾向、癖を振り返ってみますと、「話しながら、自身の考えをまとめていく」ということをやりがちです。これは、頭の中を、言葉にすることで整理していっているわけで、
聞いている側は主旨をくみ取ることが非常に難しくなりますので、大変な迷惑ともいえます。
・・・今日、私の話に付き合っていただいた方々、本当に申し訳ございません・・・
そしてお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
話すことは、体を動かすことで、立派な運動の一つですので、
日ごろの練習でレベルアップもできますし、磨いていくことができると考えています。
伝わる言葉の組み立て方や、話し方、そしてもちろん語彙力をも手にいれることができれば、世界が大きく広がります。
視覚的にお客様をもてなしている様子をしっかり伝えていくことも大事ですが(笑顔、お辞儀の角度、手の使い方、装いなど)やはり、最終的にいよいよのよりどころとなるのは言葉であり、言葉が本人のありようをすべて表してくれますので、
日ごろから意識的に口にしていきたいものです。
仕事=誰でもできるようにする、ものではないと思う
人手不足の環境下では、業務をマニュアル化して、誰でもできるような仕組を作ろうとします。もちろん仕事の特性や難易度によっては可能かもしれませんが、仕事をする側からしたら、それでやりがいや楽しみを感じられるのでしょうか。誰でもできるとうたっている仕事を、ためしにやってみたら、たまたま当たって、とてもやりがいや楽しみを感じながら天職として生きていくことができるようになった、のであればラッキーですが、「仕事はできるようになったけれど、やりがいや楽しみが感じられない」となると精神的に、そしていずれは肉体的にも苦痛、負担になると思います。
また、やりがいや楽しみを感じている側の者にとって、その仕事を「誰でもできるようにする」と言われると、とても残念な気持ちになります。とても簡単と言われているような気がしてきます。
やりがいや楽しみを感じられるかどうか、を大事にして、感じられる人こそ、さらにその腕をみがいていく。私が働く環境においても、慢性的に人手不足であるため、誰でもできます、できるようにしますという思い切りハードルを下げて募集をしてしまっていますが、そのような仕事はこれから徐々にAI化します。自身がやりがいや楽しみを感じられることは、必ず周りからも求められていることだと私は確信しています。日々、目の前のお客様や物事に集中して対応することだけにいっぱいいっぱいになりがちですが、自分にも目を向けて、どのような瞬間にやりがいや楽しみを感じているのか意識的になることも大事だと思います。その人だけの、その人ならではの仕事をしてもらいたい、私もしたいと心からそう思います。
理不尽な主張への断固とした態度
JR東日本が、カスタマーハラスメントに該当する場合には、お客様対応を一切しないと断言したニュースは、大変興味深く、また、そのはっきりと姿勢を示した点に大変感心しました。
企業によって姿勢、方針は様々だと思いますが、日々、お客様と向き合っている立場からしますと、このJR東日本の打ち出した方針が最も適していると考えます。
相手にしてはいけないということです。
たとえば、自分の希望が叶わないとわかったとたんに、企業批判、オペレーター批判を延々と行い、その過程では大変暴力的な言葉を使い、ときに圧をかけ、脅しながら、長時間にもわたり、というケースにまれに遭遇します。
私たちとしては、希望が叶わなかったその残念なお気持ちには寄り添いますが、それ以外は一切受け入れません。そのようなお客様としては、圧をかけて怖がらせて、謝らせて、あわよくば話を振り出しに戻して、自身の希望を「今回だけ特別に」と叶えてもらうことを目的としているのかもしれません。
接客している私たちは、お客様のおっしゃっている内容について、細かく丁寧に「切り分け」を行っていくことが重要です。
「これ」には寄り添いながら、「あれ」は一切受け入れない。
そういう姿勢で場数を踏んでいく(本来であればこのようなケースは少なくあってほしいのですが)ことで、接客をする者としての自信、また、どんな理不尽な状況下におかれたとしてもぶれない精神力、対応能力を身に着けていくことができると考えます。
理不尽なクレーム、カスタマーハラスメントには一切対応をする必要はありませんし、何一つ、これっぽっちも怖い思いをする必要はありません(ただし、お客様にははっきりと「こわくて言葉を失っている」などと伝えるようにしましょう。これで我に返り目を覚まされるケースもありました)
接客の魅力とは?
接客をしていて、やりがいを感じるのはどんな場面でしょうか。
お客様から感謝されたとき、や、お客様が喜んでいるところを目に、耳にしたとき、というのが一般的でしょうか。
私の場合は、以前もこのブログに書きましたが、いい人の振る舞いができる点、できるときというのが一番やりがいを感じます。人間的に成長していると思える瞬間です。
なので、接客の場面以外のプライベートの場面でも、接客で学んだ「いい人」の要素は、どんどん生かしていきたいと意識して生活をしています。もちろん、「悪い人」「ダメな人」に成り下がる場面もありますが、それは反省したうえで、やっぱり「いい人」を目指したい。
私が感じるこのやりがいは、お客様の反応の段階よりもずっと手前の段階に発生するので、いわば自己満足の域だったりします。もちろん、お客様の反応、評価をしっかり受け止めていく必要はありますが、純粋な「好き」という感情は意外に相手のいない、自分だけの世界で湧き上がる感情だったりするのではないかなあとも思います。
配慮、思いやりを大事にする世界、社会、職場で働くことで、どんどん自分の配慮力(勝手に作りました、造語です)、思いやり力(これも造語)を強いものにしていきたいです!